概要 計画ルート ●今日までの経緯

昭和40年8月 「ワイズマンレポート(国連調査団報告書)」において、第二東西道路構想が提案される。
昭和44年4月 「新全国総合開発計画」において、東海南海連絡道路として位置付けられる。
昭和62年6月 「第4次全国総合開発計画」において、大阪湾環状交通体系として位置付けられる。
平成3年度 大阪湾環状道路の一環としての紀淡連絡道路の調査開始(建設省)
平成4年7月 紀淡連絡道路の実現に向け、周辺市町村で構成する「紀淡連絡道路実現期成同盟会」設立
平成5年5月 「第11次道路整備5箇年計画」において、大阪湾環状道路の事業の具体化が明示される。
平成5年度 建設省、和歌山県、兵庫県による紀淡連絡道路の現地調査開始
平成10年3月 「新・全国総合開発計画―21世紀の国土のグランドデザイン」において、初めて「紀淡連絡道路」の固有名詞が使われ、構想を進めると明記される。
平成10年5月 「新道路整備5箇年計画」において、「紀淡連絡道路」の構想を進めると明記される。
平成11年 「第5次四国地方開発促進計画」において構想を進めると記述される。
平成12年 「第5次近畿圏基本整備計画」において構想を進めると記述される。
平成15年 「大阪圏幹線道路図」に調査中と記述される。